アートワールド

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/klov/20081203/1228321767

とりあえず「現代美術」ではなく、「コンテンポラリーアート」あるいは「同時代芸術」と言った方がより正確かと。
じゃないと、「現代美術っていつまで「現代」なんだよ!」とか「私が生まれる前の作品なのに「現代」ってなんだよ!」ということが気になり始めるので。



アートの文脈に乗ったらアートです

自分たちのパフォーマンスを通じて<アート>という枠組みの外に出ようとした。

枠組みの外に出たかったら、アートの文脈から発信してはいけない。アートの文脈に乗っかっておいて、アートの枠を越えることは出来ない。
はてな」で発信しておいて、<はてな>という枠組みを越えようとすることを考えてみればいい。これまでと違う何をやろうが、hatena.ne.jpから発信される限り、評価はともかく<はてな>の枠は越えられない。
ドメインの内側で何をやろうとドメインは越えられない(うまいこと言った気がする)。


参加者のほとんどが「一定の形で<アート>として規定した」のは、そもそもアートの文脈に乗せたいと、作家本人が決めたのだから、それにベタに付き合っただけでしかない。作家自身が後から別にアートじゃないとか、枠がどうのこうの何ていう「釣り宣言」をしたところで、作品は既にアートの枠内にあるわけだしね。
あくまで書かれている範囲内から読み取る限り、Chim↑Pomはそのアート認定プレッシャーに完全に負けている。そんなんでは内側から壊すなんて無理です。相手は釣り針が見えていても、釣り人まで食おうとしているのに、餌を取られた程度でそんな弱気な態度では、釣りは出来ません。


そもそもアートが(他者の)アートを否定したら、アートの価値は無いよね。特にコンテンポラリーとなれば特に。
一般の常識やら倫理やらを一旦留保出来る、かつ社会に開かれている場というのは、そうそうありません。
では、何やってもいいかと言ったら、一般的にはそうではないです。アートだからという理由で法律が適用されないなんてことはありません。開かれた場で発表する場合、アーティストや発表の場を用意する人たちは、普通に警察やら関係各所に許可を取ったり、場合によっては周辺住民に説明に回ったりと結構地味なことをやってます。
でもそれをやらずにアートとして発表されて、社会的に糾弾され、場合よって裁判になったり、警察に捕まったとしても「それはアートではない」とアートの側から言うのは不誠実だし、おそらく誰もそんなことは言わない。
ただ、その理由が「アートの枠を越えたい」なんて理由だったら、作品のクオリティの問題として叩くことはあるとは思う。


もちろん、発表の前に適切なアドバイスをし、作家と社会とを繋げる道を整備する事が、キュレーターやマネージャー、プロデューサーには求められるけどね。こういう漫画における編集者みたいな役割の人たちは、アートが社会に開かれる上で、今後ものすごく求められると思うよ。


何書いてるか分からなくなってきたので話を戻すと、「枠を越えたい」という思いに答えるのは、個人的優しさ以上の何者でもないよ。他の人は「お前はアートの文脈に乗った、だからアートだ」と、ごく当たり前の態度を取っただけ。煽れば思う存分やってくれたと思うんだけど。あるいはChim↑Pomがその議論に耐えきれる強さが無いと判断したのかも。


最後の段落について

<大衆>ではなく、リテラシーを持った「愛好者」を増やすことをスティグレールは画策している。これは作る側ではなく見る側を変えることで、アートを開く試みと言えるのかな。